ローマは1日にして成らず

こんばんは。
ご無沙汰しております。
長文を書き散らす時用のブログの存在を、作った本人がほとんど忘れてしまっているのですけれども、時々はこのように思い出すわけなのです。はい。いえね、えーと、長文書きたい欲は、お友だちへのお手紙とか、恋人から届く長々しいLINEメッセージへのお返事とかで、満たされていると云えばいるとも云えるんですけども。

(と云うか、これ、ほんとはツイートでどうにかなるはずだったの。しかし箇条書きに書いていたら何故だか長々しくなってきたのでこちらに書き散らすことにしたのでした)


それにしてもですね、美人との邂逅と云うのは、自分の面白い顔の事なんぞすっかり忘れて、なんだかこちらまで美しくなれたような気になりますから、お得です。すてき。つまり積極的に美人とデートを重ねた方がこちらも美しくなると云うことです。恐らく。

そりゃそうだ、ブスと会うより美人と会う方が健全に決まっている!あ、誤解のないように云っときますと、わたし、女の子大好きですから、ほとんどの場合、わたしが選んで会っている女子の中に所謂ブスは居ません。なんならこちとら生まれてこの方ブスやって生きてきてんだ。いろいろわきまえており、ブスであることに自覚的ですらあります。

わたしの嫌いなのは「ブスであることに無自覚な勘違いしたブス」そして「ブスであることに胡座をかくブス」更には「ブスであることを居直るブス」です。これはね、もう女の人ですらない。人ですらない。畜生です。畜生は去ね。疾く往ね。そう云うブスにわたしは心から冷たいぞ。

でね、何が云いたいのかと云うとね、ブスがブスであることに自覚があるように、「美人は美人であることを知っている」ってことなんですよ。「綺麗だね」とか「美人だね」とか、もうね、云われ慣れてるの。だからね、そんなのは挨拶と一緒なの。そんな言葉で口説いても全然意味ないの。もうね「綺麗だね」とか「美人だね」なんて言葉を使ったら、そんなの知ってる、分かってる、なにこのひとアタマ悪い、と思われること必至。

ですからみなさま、美しい人とおしゃべりするときに、その美しさに圧倒されてしまうのはわかります、わかりますけれど、言葉を選んで頭が悪いと思われないように工夫するのはとても大事なんですのよ。工夫すればするだけ、おそらく面白い話ができるはずですし、少なくとも、頭悪いとは思われないはずです。(空回りさえ避けられればね。) 頑張りましょう。

そして、美人はね、勝手に美人になるんじゃないんです。美人でいることに自覚的であって、ちゃんと磨くんです。その姿勢がほんとに美しい。女でいることをやめないし、きちんと努力してる。無駄な努力はしない。身の丈に合った、無理のない努力をする。だれかのお母さんだから、とか、もう太っちゃったから、とか、誰かの、何かの、所為には決してしない。無理なく自分と向き合っている。すてきです。美人も1日にして成らず。

(しかしあの美しい人があのぽっちゃりしたミュージシャンに夢中なの、本気で面白いぞ。どんな魅力があのぽっちゃりの中に詰まっているのだろうと、とても考えさせられるわ)

…と云うことでこの記述がなんなのかと云えば、まぁ有り体に云えばラブレターですね。わたくしの語彙は最近崩壊気味に拍車がかかっているので面白いことのひとつも書けなくて残念なのですが、好きです。仲良くしてください。

(あ、云い忘れた。ついったあかうんとに使ってらっしゃる某ブランドのお名前、わたしも大好きです。わたしは魚座なので、おさかなが向き合ったあのロゴも好もしいし、いつかあのぽってりとしたつややかな925のおさかなをネックレスにするんだ!と思いながら、すっかり忘れてしまっていました。何故)

…とりとめがなく、ちょっと終わりが見えないので、このあたりで唐突に筆を置くことにいたします。今宵はここらでよかろうかい。
おやすみなさいませ。





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フルーツのガム噛んで

Another psychedelic paint

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