10年前の僕らは胸をいためて


さて、なんでまたこーゆーのに帰ろうかと思ったかと云うとですね、ご縁があって久しぶりに小劇場で観劇などしたからなんですよね、やっぱり。

10年くらい小劇場から離れていて、本当に久しぶりにお芝居観たらどんな気持ちになったのかと云うと、いちばんに感じたのは「悔しさ」だったのでした。ここには変わらずにいろいろの気持ちや、相変わらずざわざわする何かがあるのに、何故キミはもうここに居ないんだろう?と云う。何故あの時わたしにはキミをサポートする力や時間がなかったんだろうね。けれど、わたしになら出来た、と思うことはもちろん烏滸がましいことであって、出来たとは限らないし、まして成功したとは限らないし、結局は同じ道を辿ったのかもしれない訳で。けど、でも、やっぱり悔しい。「もしも」が反則なのはよく理解しているつもり。結果論でしかなくて。いろいろな方法で「もしも」を描いてくれる作品たちに触れると、その都度わたしの「もしも」を思うのは、それでもやはりわたしがわたしの「もしも」を思い描く余裕や時間をいまになって持てているからだと思うんだ。年齢とか。10年前の、今より10歳若かったわたしにはそんな余裕も時間もなかった。今のわたしだから「もしも」を想像できるようになっただけなんだと。そして、今その道を選ばなかったから、愛すべき現在があることをわたしはよく知ってる。今のわたしを取り巻いてくれる有り難い人間関係は全くなかったかもしれない。しれない、じゃなくて、きっと全くなかったに違いない。だから、この道を歩いたことに全然後悔はない。この道を歩いてよかった、心から。

そう云うことを、ほんとはキミに伝えたい。だからそう云う時間を作るのもいいのかもしれない。もしもまた、そんな時間を持てる時がこれから来るのなら、その時はきちんと伝えよう。あの時のようにうやむやに離れてしまうのじゃなくて。昔話をするのじゃなくて。これからの話をしよう。


Sylvie Vartan   Irrésistiblement


.

フルーツのガム噛んで

Another psychedelic paint

0コメント

  • 1000 / 1000