飛び出すよフリッパーズ世界で初

ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ@世田谷文学館、トークショーの日までにいちどは見ておきたいな、なんて思っていたんですけど、台風その他の諸々で、あっと云う間にトークショー当日に。いや、素晴らしかった。

会場に足を踏み入れると、うわ、コレもコレもアレもソレも、えっ、コレも信藤三雄の仕事なのか!と。90年代の渋谷を生き抜いてきたわたし達が、あの時代、信藤さんの仕事を目にしない日は殆どなかったんじゃないのかな。少なくとも、あの時代にあって、音楽が好きで、映画が好きで、お洋服が好きで、おしゃれするのが大好きで、それが日常だったわたしにとって、信藤三雄のアートワークを抜きに、あの華やかだった90年代を語ることはできない。21世紀になった今、音楽を取り巻く環境やファッションがほんとに変化していることは強く感じている。インターネット、ファストファッション、動画配信サービス、ガラケーからiPhoneへ。現にわたしだってミュージックに入ってる。毎月の定額料金を支払えば、いろんな音楽に簡単に触れられちゃう。それはとてもとても素敵で便利なこと。進化した文明の利器は、積極的に取り入れていく所存。信藤さんも云ってらした。「ノスタルジックで、でも、新しくて革新的なものが好き」と。難しいことを、難しいことばで説明することはいつもとても簡単だと思うのだけれど、そうやってシンプルに、好きなことを、誰にでも分かる簡単な言葉でさらりと説明しちゃうのがほんとの賢さ、頭の良さなんだよなって、ほんとに感じたのでした。わたしは頭の良いひとにはほんとに弱くて、心酔してしまう。

信藤さんは、田園調布生まれ下町育ち。牧村さんは、渋谷生まれ渋谷育ち。トークショー聴いてたわたしは世田谷生まれ世田谷育ち。これね、やっぱり東京ローカルから生まれた、東京ローカルの感覚って、間違いなくあるんですよ、良い悪いじゃなく。かつて青森出身の友だちが、わたしに云ったことがあります。「Oliveとか、地元でも読んでたけど、代官山とか、下北沢とかあんなにこと細かに紹介されてもさ、知らんわ!ってなってたよね、タウン誌じゃん!」と。なるほどタウン誌。あれに憧れて東京にくる感覚と、そもそも東京しか知らない我々があれに触れるのとでは確かに意味が違う。そうなんですよ、昨日も帰り道で話してたんですけど、東京生まれ東京育ちの我々には、田舎がないんです。帰省する、とか、田舎から野菜送ってもらった、とか、云ってみたいんです。わたしだって、訛りたかった。

生まれ育った土地に対する想い、みたいなのってあるじゃないですか。とても好き、とか、キライだから早く早く出て行きたい、とか。牧村さんは「仕方なく東京に住んでる」みたいに仰っていたけど、わたしなんかもだいたいそう云う感じで「東京大好き!だけど他の土地のことを知らない、だってここで生まれて育ったんだもん」と云う感覚です。特にわたしは東京の西側、いちばん近い街が渋谷か新宿でした。(東側のひとはまた違うんだよね、浅草とか銀座とかが身近な街だったりしてさ、それもなんだか恰好いいのだぜ) 

トークショーは「渋谷系はなぜ生まれたのか」と云う副題がつけられていたのだけれど、ほぼほぼフリッパーズギターのハナシ。会場にいらしてたアラフォー世代、好き嫌いぬきにフリッパーズを通ってるひとたちばかりだったと思うけど、彼ら以外の渋谷系にほぼ触れられなかった。と云うか、フリッパーズの話でいっぱいいっぱいで、他に飛び火しようがなかったような。わたしはね、すきすきフリッパーズですから大満足でしたけれども。信藤さんと牧村さんの口から語られる若き日のフリッパーズの話とか、滾るに決まってるヤツです。印象的なトークをいくつか。
牧村:初めて会った時のフリッパーズのふたりの印象はいかがでしたか?
信藤:小山田くんのね、白いボタンダウンのシャツの着こなしがカッコよかったよね。
やはり小山田リーダー、当時からリーダーと呼ばれていたと。それは音楽面のリーダーでもあり、ファッションリーダーでもあったと、そのようなニュアンスでリーダーと呼ばれていたことが語られました。ほぅ。

信藤:あれはね、完全に許可ナシ。ゲリラ撮影。ふたりと、スタッフ4人で、全員で6人でね。ラジカセで音鳴らして。でもいざやる、ってなったらみんなビビっちゃって。それで僕が大きな声だして「やるぞ」って。そしたらふたりノリがよくて。根がパンクだからね、あいつらは。(パステルズバッヂのPV撮影について)
分かっちゃいたけど、やっぱり許可ナシで、しかもたった6人でロケ敢行ってすごい勢い。けど確かに手持ちのカメラでババっと撮影しちゃうってあの感じ、勢いよくやらないと出来ないことよね。

で、まぁ、フリッパーズの1stはレコード会社の意に反して、ちゃんと枚数売れた。きっちり回収できた。で牧村さん、調子に乗って会社から出た宣伝費を全部PV撮影にぶっこんでくださった。(ありがとうございますありがとうございます)「あとから考えたらこれは普通に宣伝費用に使え、Winkがめちゃくちゃ売れたから、みたいなことだったと思うんだけどね」けどそのおかげでこんどはみんな大好きな「恋とマシンガン」のPVが出来る訳でほんとにありがとうございます。

信藤:あれはね、ロンドンとパリで1日10時間くらいカメラ回しっぱなしで。5-60時間くらい撮ったんじゃなかったかな。
牧村:その映像、どうなったと思います?
信藤:さぁ、あれ、どうなったんだったんだろう、知らない
牧村:僕がね、全部保存してるんですよあれ、だから僕が死んだらね、世に出るみたいなことですよ笑
すごい。小沢小山田がロンドンやパリでひたすらわちゃわちゃ動きまくったり、歌ったり、踊ったり、ギター弾いたり、ごはん食べたりしてる(きっと)映像が何十時間分も残ってるって!なんなのよそれ!上映会を是非。牧村さん、死んだらなんて仰らずに生きてるウチにいろいろの問題をクリアして上映会を是非。(なんとなくだけどoymdはオッケーだけどozknがNG出しそうよねw)

信藤:あのPVはアニエス・ベーの社屋で撮らしてもらえるって話になって、行ったら使っていいのは屋上ってことで、あれはね、めちゃくちゃ危なかった。撮りながらあの屋根から落ちそうになって。
あの絵は、ほんとに素敵なんだけど(パリの屋上、大好きな映画のファントマのワンシーンみたいなんだもの) だけど以前から、なんか怖いなと思っていたんですよ、あんなところで撮影しててキワっキワじゃないかよと。そのエピソード知ったからには、更に足の震えナシには見られない映像になってしまったじゃないか…

牧村:あのPVのカフェのシーンがね、一説には東京のカフェブームを作ったんじゃないかって言われてるんですよ。
信藤:そう、実際にね、結構問い合わせが来たの「信藤さん、カフェ作りたいんですけどプロデュースしてもらったりとか出来ませんかね」ってね笑
わわわ。けど、そうよね、さもありなん。あのPVに出てくるカフェにそっくりなカフェ、表参道あたりによくあったじゃないですか。今も代官山あたりにたくさんあるじゃないですか。(移動しちゃう前、表参道にあったアプレミディでバイトしてた友だちが「今オザケン来てるよ」って家に電話を掛けて知らせて来てくれて、カフェに行ったはいいけど机に向かって何か書き散らしてる小沢くんに、もちろん話しかけることなんてとてもとても出来なくて、離れた席で同じもの注文して飲んでみるとかしてた大学生だった…)

牧村:ふたりがね、確かニューヨークからの帰国便にのって。そしたらその乗った機体から煙が出たとかで乗り換える、みたいな騒ぎになったことがあったんですけど…
信藤:あ、それ僕も一緒に乗ってました
牧村:そうだったんですね、そしたら彼らね「今ここでは絶対に死ねない、死んだら牧村さんにベスト盤を出されてしまう!」とか言ってたみたいで (会場内笑)
そーゆーの、そーゆーの聞きたかった笑。いかにもあのふたりが言いそうなエピソードよね。

牧村さんはトークショーのはじめに「アートワークはアーティストたちの楽曲のもう一曲」みたいなことをおっしゃっていたけど、しみじみ思うのは、ほんとにジャケットのアートワークがなかったら、そのレコードをCDを手に取って選んでいなかった可能性もある訳で、その宣伝があの雑誌に載らなかったら、そのCDに辿り着かなかった可能性ももちろんあった訳です。おふたりが話すのを聞いていて思ったのは、あぁ、この大人たちがフリッパーズギターを世に出してくれたから、高校生だったわたし達がフリッパーズのCDに出会えたし、あのアートワークがあったから、より彼らを好きになったのだし、今だってCDを探し出す時に、いちばんにジャケットの絵を思い描きながら探し出そうとしてるじゃないですか。この大人たちがいてくれなかったら、わたしが好きになる音楽もアートも全然今と違うものになっていたかもしれない。フリッパーズが居なかったら、今と全然違う音楽を聴いて生きていたかもしれない、今この場所に立っていなかったかもしれない。全然オーバーなんかじゃなく、そう思ったらちょっと怖くなりました、うん。
しかしこれ、書き続けたら永遠に止まらないヤツなので一旦このあたりで書き終えておきましょうかね。あ、トークショーでのエピソードは記憶で書いてますので、一字一句正確ではありません、ご了承ください。また面白いエピソード思い出したら適当に書き直したりします、そのあたりもご承知おきください。

以上、2018年8月5日日曜日の午後に世田谷文学館にて開催された、信藤三雄、牧村憲一によるトークショー、「音楽とアートワークの蜜月時代、渋谷系はなぜ生まれたのか」に参加しての思い出し記述でした。(敬称略、失礼いたしました)

サインもいただいたのでした!嬉しい!






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